愛場美和 公式ブログ|Miwa Aiba Official Blog

東京とシリコンバレーを拠点にビジネス、AI、世界のこと、日々の気づきを綴ります。

私は、まだ誰もやっていないことが好きだった

振り返ってみると、私は昔から、新しいものが好きでした。

まだ多くの人が知らないもの。
まだ当たり前になっていないもの。

そういうものに出会うと、なぜかワクワクするのです。

その始まりは、小学生の頃だったのかもしれません。

鹿児島の文化センター、現在の宝山ホールの地下に、当時、科学館がありました。

私はそこが大好きでした。

中でも夢中になったのが「テレビ電話」です。

画面の向こうにいる人の顔を見ながら話ができる。

今なら、ZoomもFaceTimeも当たり前です。

でも、当時の私にとっては、

「こんなことができるんだ!」

という驚きでした。

何度もそこで遊びました。

あのときのワクワクは、今でも昨日のことのように覚えています。

世界の向こう側を見てみたかった

小学生の頃から、私は英語にも興味がありました。

当時は、世界共通語として「エスペラント」という人工言語を普及させようという考え方もあり、私もエスペラントについて書かれた本を読みました。

でも、子どもながらに、

「世界の共通語になるのは、英語じゃないかな」

と思っていました。

中学生になると、海外の人たちと文通を始めました。

カナダに2人。
ポーランドに2人。
ガーナに1人。

インターネットもメールもない時代です。

遠い国から、自分宛ての手紙が届く。

封筒を開けると、自分が知らない国に暮らす人の言葉が書いてある。

それが、本当に楽しかった。

世界とつながっているような気がしました。

そして、だんだん、

「外国に行ってみたい」

と思うようになりました。

留学がしたくなり、中学生の私は、自分でカナダ大使館に手紙を書きました。

すると、ちゃんと返事が来ました。

残念ながら、

「あなたの年齢では、まだ無理です」

という内容でした。

それでも、海外へ行きたいという気持ちは消えませんでした。

高校生になると、今度は学校から交換留学の話があり、先生から「行かないか」と声をかけていただきました。

やっとチャンスが来た。

でも、そのときは母の反対もあり、行くことはできませんでした。

その頃の私は、ずっと何かを探していたように思います。

「ここにもないな」

そんな感覚が、どこかにありました。

何を探していたのかは、自分でもよく分かっていませんでした。

ただ、まだ知らない世界を見てみたかった。

それだけは確かだったように思います。

「それって何?」が止まらなかった

20代になっても、その性格は変わりませんでした。

まだ周りでヒップホップをやっている人がほとんどいなかった頃、私はヒップホップをやっていました。

ネイルもそうでした。

今のように誰もがネイルサロンへ行く時代ではありません。

ベジタリアンにも興味を持ちました。

当時は今ほど一般的ではなく、むしろ周囲から否定的なことを言われることもありました。

それでも、興味を持ったら試してみたくなる。

あるとき、アルバイト先の上司が「瞑想」という言葉を使いました。

私は、その言葉に引っかかりました。

「瞑想って何?」

知らない言葉を、そのまま通り過ぎることができなかったのです。

今振り返ると、私にはずっと、

「それって何?」

があったのだと思います。

知らないものを知りたい。

面白そうなら、自分でやってみたい。

人がやっているかどうかは、あまり関係ありませんでした。

31歳、ロサンゼルスへ

そして31歳のとき、私はロサンゼルスで暮らし始めました。

中学生の頃、あれほど行きたいと思っていた海外。

カナダ大使館にまで手紙を書いたのに行けなかった海外。

高校生のときにも、交換留学の機会がありながら行けなかった海外。

それがいつの間にか、自分が暮らす場所になっていました。

人生とは不思議なものです。

そのときには叶わなかったと思ったことが、何年も経って、まったく違う形で実現することがあります。

「いつ、どうやって叶えるか」まで、すべて自分で計画したわけではありません。

目の前のことを一つずつやっているうちに、気がつけば、かつて遠い世界だと思っていた場所に自分がいた。

今振り返ると、そんなことが私の人生には何度もあったように思います。

「私がやってもいいかな?」

30代には、仕事の世界も大きく広がりました。

ある日、知人から電話がありました。

光文社の雑誌『JJ』の仕事について、

「誰かやる人、いないかな」

という話でした。

そのとき私は、

「私がやってもいいかな?」

と言いました。

すると、

「美和がやってくれるのであれば」

ということになり、そこから私の『JJ』の仕事が始まりました。

今考えると、これも私らしかったのかもしれません。

完璧に準備ができていたから手を挙げたわけではありません。

「面白そう」

「やってみたい」

その気持ちが先でした。

実際の仕事は、華やかなことばかりではありませんでした。

撮影のために有名ブランドからたくさんの洋服をお借りしたことがあります。

ホテルの部屋で撮影を終え、私が商品を返却しに行くと、マネージャーから激しく叱られました。

「タバコの臭いがついていて、これでは商品にならない」

私はタバコを吸いません。

でも当時、撮影現場ではカメラマンがタバコを吸うことも珍しくなく、その撮影中にも吸っていました。

それでも、商品を返却しに行ったのは私です。

言い訳をすることもできず、ただ謝るしかありませんでした。

仕事とは、こういうことも含めて責任を持つことなのだと学びました。

ラスベガスでの仕事では、1週間があまりにもハードで、体重が7kgも落ちたこともありました。

今なら、とても健全な働き方だったとは思いません。

でも、大変だったことも、叱られたことも含めて、今となっては大切な思い出です。

予算100ドルで、プライベートジェット?

『JJ』の仕事では、ときどき驚くような依頼もありました。

あるとき、某TOPブランドの撮影で、JJの記者から

「プライベートジェットのところ(タラップ)で撮影したい」

という要望が来ました。

プライベートジェットです!

そこで予算を確認すると、

100ドル。

「えっ、100ドル?」

さすがに驚きました。

普通に考えれば、ほぼ不可能です。

でも、

「できません」

で終わらせるのではなく、

「どうしたらできるだろう?」

と考えました。

主人にも相談し、知人を通じて協力していただけるところを探しました。

そして、ジェット機のタラップに、その会社のステッカーを貼ることを条件に、撮影させていただけることになりました。

100ドルの予算で、プライベートジェットでの撮影が実現したのです。

今になって振り返ると、この仕事には、私がその後ずっとやってきたことの原型があったように思います。

条件が揃っていなくても、

「どうしたらできる?」

と考える。

人と人をつなぐ。

相手にもメリットがある方法を考える。

そして、実際に形にする。

当時は、そんなことを分析して仕事をしていたわけではありません。

ただ、目の前の課題を何とかしたかった。

でも今になってみると、それが私の仕事の仕方だったのかもしれません。

一人で探す人生から、二人で歩く人生へ

30代で主人と出会いました。

主人は、ゼロからスタートすることを恐れない人でした。

前を向いて進む人でした。

それまで私は、ずっと一人で何かを探していたように思います。

「ここにもないな」

と思いながら、知らない世界を探していた。

でも主人と出会ってからは、

「一人で探す」から「二人で歩く」

に変わったように思います。

もちろん、すべてが順調だったわけではありません。

いろいろなことがありました。

計画通りにならなかったことも、思いもしなかった方向へ進んだこともあります。

それでも二人で、その時々の目の前のことをやりながら歩いてきました。

そして今、私はサンノゼにいる

31歳でロサンゼルスに暮らし始めてから、長い時間が経ちました。

そして今、私はサンノゼにいます。

中学生だった頃の私に、今の自分を見せたら、どう思うでしょう。

カナダに行きたくて大使館へ手紙を書いていた少女。

海外から届く一通の手紙にワクワクしていた少女。

テレビ電話で話すことが楽しくて仕方なかった少女。

その少女が何十年も経って、アメリカで暮らしている。

人生を振り返ると、

知らない間に、願いが叶えられていた。

そんなふうに感じることがあります。

私は、それを「運命だから」と断定するつもりはありません。

でも、自分の意思だけでは説明できないような流れの中を、人生が運ばれていくように感じることがあります。

ただし、運ばれてきただけでもありませんでした。

留学したければ、大使館に手紙を書いた。

知らないものに出会えば、

「それって何?」

と聞いた。

仕事の話が来れば、

「私がやってもいいかな?」

と手を挙げた。

無理そうな依頼が来れば、

「どうしたらできる?」

と考えた。

振り返ってみると、人生から何かが差し出されたとき、私は自分から小さな一歩を出していたのかもしれません。

66歳。また、新しいものにワクワクしている

そして今。

私は、また新しいものに夢中になっています。

AIです。

毎日のようにAIと話しています。

知らないことを調べる。

考えを整理する。

新しい事業を考える。

市場を調べる。

文章を書く。

アイデアを形にする。

AIに触れていると、ときどき、小学生だった自分を思い出します。

鹿児島の科学館でテレビ電話を見て、

「すごい!」

とワクワクしていた、あの頃の自分です。

あれから何十年も経ちました。

あの頃のテレビ電話は、今では日常になりました。

世界の人たちと瞬時につながることも、珍しいことではありません。

ネイルも、ベジタリアンも、かつてとは比べものにならないほど身近なものになりました。

そして今、AIによって、また世界が大きく変わろうとしています。

私は未来を予言できるわけではありません。

「私は昔から時代を先取りしていました」と言いたいわけでもありません。

ただ、昔から変わらないことがあります。

まだ知らないものに出会うと、ワクワクする。

「それって何?」と思ったら、自分で触ってみたくなる。

面白いと思ったら、一歩前へ出てみる。

そして、

「どうしたらできる?」

と考える。

どうやら、それが私なのだと思います。

66歳。

私は今、また新しい時代の入口に立っているような気がしています。

この先に何があるのかは、まだ分かりません。

でも、分からないから面白い。

子どもの頃からずっと探していた「まだ知らない何か」。

もしかすると私は、答えを見つけることよりも、知らない世界の扉を開けることそのものが好きだったのかもしれません。

そして今、また新しい扉が目の前にあります。

あの頃と同じように、

「それって何?」

から、また始めてみようと思います。